「薄花桜」


 正月の吉原は、一層と華やかである。一月七日には他の奉公人達と同じように、内所からその格に合った仕着の衣裳を贈られる。また大紋日にあたるため客の金の使い方も一層華々しい。遊女の花代も、普段の倍近くになっていた。
 勿論、苦界であっても矢張り正月は嬉しいものだ。流石に苦渋を嘗め尽くしている遊女達も華やかに笑い合う。
 さて、最上屋の正月は例年より数倍華やかであった。その理由は当然楼主である政宗の個人的事情によるものだ。仕着せの衣裳も一段と豪勢で、景気がいい。元々政宗の審美眼は悪くないためそれぞれ遊女に似合った衣裳で、客の評判もかなり良かった。

「やはり、面白い正月ですな!」
「そうか?俺なんか、昔からコレだからな」

 吉原の真ん中を突っ切る大通りの仲之町(ちょう)通りには門松がずらりと並んでいる。これが吉原の正月の名物と言っても過言ではなかった。仲之町通りの両側に並ぶのは引き手茶屋。遊女と登楼る客の待ち合わせ場所とも言うべき店だ。ここから客は遊女を呼び、また遊女はここに客を迎えに来る。女郎屋から遊女が客を迎えに行く行列を花魁道中と呼んだ。

 面白いのは門松の飾り方で、道の真ん中に店に向けて飾るのだ。向かいの店も同じように飾るため、丁度背中合わせに門松がずらりと一直線に並ぶ。背中合わせの松飾りと呼ばれ、これだけを見るために来る人間もいた。
 吉原の全ての店がこれに倣う。最上屋も当然のことながら店の真ん前に飾ってあった。

 幼い頃から吉原で育った政宗と違い、幸村には珍しい。
 いや、どうやらそもそも。

「余り、この飾り自体見たことが無かったので御座る」
「Ah?門松見たことねェってそりゃ……」
「あ、いや、門松は知っているが某のところでは竹を使わなかったのだ」

 仲之町通りに飾られた門松は、先を切らずに葉をつけたままの竹と人の背丈ほどの松を一本、そして松の丸太を三箇所縄で締めたものだ。風に鳴る竹の音が爽やかである。
 最上屋の門松は切り口を斜めにした竹を三本、その周りに松を飾り、根元には銀砂を盛り上げるといったスタイルだ。現在の門松に近い形である。

「竹を使わない?」
「最初は松ではなく柊を飾っていましたな。……父が武田に縁がありました関係で、竹も松も使いたくないと」

 政宗もその話は知っていた。武田の「たけ」を斬り、松平の「まつ」がその周りを囲む。これは徳川の一種の呪詛である。それをおめでたいとするとは、権力は偉大だ。

「……じゃあ松取るか?」
「竹を取る方が良いのではと……、しかし竹も松もないと不恰好で御座る。それに太平の今の世、あまり関係ないと思うが」
「それもそうだな」

 まだ昼見世の始まらない早朝、雑煮を食べながら格子越しに二人はのんびりと外を見ていた。前日に降った雪に門松の緑、格子の朱色の対比が美しい。

 勿論周りには早起きの客を見送った遊女達や一休みしている若い衆も一緒に雑煮を食べている。いつものたまり場のような雰囲気で、雪見としゃれ込んでいた。殆どの遊女達が仕着衣裳で、政宗の傾いた服装や見世の内装とあいまってやたら派手である。派手ではあるが、趣味は悪くない。
 一人だけ袴姿の幸村が浮いていた。

「幸村ちゃんも振袖着たらどうでありんすか?」
「い、それは」
「そうそう、似合いんすから」
「旦那もまた見たいのじゃありんせんで?」

 そう問われて政宗は雑煮の野菜を喉に詰まらせた。
 その様子があまりにも滑稽で、遊女達のみならず幸村まで笑っている。政宗は眉をしかめて口をひん曲げ、下を向いた。
 門松には店の好みで目出度いものが飾られる。最上屋の門松には六枚の寛永通宝が掛けられていた。格子の外に目をやった政宗は、朝の日を受けて煌くそれに目を細めた。

 幸村の氏はなんとなく知れる。六枚の銭を家紋とする家は殆ど、いや二つしかない。

「旦那、買って来ましたよ」
「すまぬ、佐助」

 裏口から入ってきた佐助の手には餅菓子が。多分、沢潟屋で買ってきたものだろう、などと思っていると、江戸紫の裾に咲き乱れる梅を銀で描いた羽織を羽織った魚屋と一緒に佐助の後ろについてきていた。こちらは落ち着いた松葉色に月に群雲の文様の羽織だ。元親は普段通りの服装に羽織っただけだが元就はきちんと正装していた。

「よーぉ、元気かー?」
「元親殿!元就殿まで!」
「ああ。新年の挨拶に来た」
「Ah?俺行っただろうが」

 元旦と二日に挨拶回りは済ませてしまう。二日の夜見世からは最上屋も通常通り営業しているのだ。

 そう言うと、元就は政宗を呆れたように見返した。

「誰がお前にと言った。私は幸村と女郎に挨拶に来たのだ」
「それは、わざわざ、申し訳御座いませぬ……」

 政宗はあんぐりと口をあけてしまったが、幸村は自分が行けばよかった、と肩を落とした。政宗のことは一切無視で、元就は幸村に笑いかける。

「構わぬ。私が来たいから来たのだ」
「かたじけない」

 そんな政宗の横にいつのまにか元親が来ていて、肩を叩かれた。

「諦めろ」
「煩ェな、何がだよ」
「懐いてんなあ。妬けるだろ」
「…………黙ってろ」

 確かに、あんな満面の笑顔で笑っているなんて。妬いても仕方ないだろうと自虐的に吐き捨てると、元親は楽しそうににやにや笑った。後に来た佐助は声を立てて笑っている。

「そうだ、お前らどこまで進んだんだ?」
「元親の旦那ー、進むと思う?」
「やっぱりなあ。本当にじれったい奴らだな」

 幸村をちらりと見やる。元就や遊女と楽しそうに話している彼は、こちらの方など気にも留めていない。何人か遊女が政宗の視線に気付き、くすくすと笑って、幸村の肩に手をかけたりなどしている。
 全く持って腹立たしいことこの上ない。自分のだと主張して回りたいが、そんな情けない行動など出来るはずもなかった。

 実際接吻以上のことはしていないのだから、情けないといえばこれ以上情けないことはないかもしれない。手を出そうという努力はしているつもりなのだが、いっかな実を結ばない。同じ部屋で眠るようになったくらいで、それも幸村の寝顔を見れば満足してしまうのだ。

「お前昔は気に入ったら即、くらいのヤツだったのになあ」
「さすが大将、男だねえ」
「…………言いたいことはそれだけか」
「アア?気が短ェな。島津のジジイが飲もうってから呼びに来たんだよ」
「あ、俺様参加で」

 もう一度幸村を見れば、やはり楽しそうで、気にしているほうがバカらしくなってくる。俺も行く、と返事をして、政宗は雑煮の椀を片付けに立ち上がった。





「あの様子では、な」
「某は別に構わぬのですが」
「何をするか、わかっているのか?」
「……ここに居れば、自ずから答えは出ます」

 元就はそれもそうだ、と笑った。幸村は最近になって元就が良く笑う人間だということに気付いた。笑う、と言っても微笑む程度のものであったが。

 まるで彼は歳の離れた兄のように自分を見ていてくれる。吉原でこのような柔らかな人間関係が築けるとは幸村自身も思ってもみなかったことだ。行った事はなくとも話では聞いていた。三代目の仙台候が隠居した理由もここへの通いすぎだし、小者達が一種の憧れを持ってここを語っていたのも聞いている。
 彼らは極楽浄土のように思っていたようだが、幸村は地獄に近いと感じていたものだ。好きでもない男に体を開く女性の気持ちを思えば当然だろう。

 そう、幸村を悩ませている問題はそこにある。

「某は本当に、構わぬのです。ただ政宗殿が某に触れようともされぬ」

 実際幸村だって政宗に告白するのにかなり勇気を振り絞ったのであって、腹はとうに括っている。それでも政宗はいつも「寝たふり」をしている自分の髪を撫でて額に口付けし、それで眠ってしまう。されないならされないに越したことはないのだろうが、なんだか覚悟が無駄になったようで悔しい。

 元就はそんな幸村をみてやはり薄く、優しげに微笑んでいるだけだ。

「良い、幾らでも愚痴は聞こう。多少なら助言も出来るであろうし」
「かたじけない」
「まあ最上屋はお前に触れたくてたまらないのだろうがな、あれは存外意地を張る男なのだ」
「……そうなのでしょうか」
「放って置くと、今のように臍を曲げて出て行ってしまうぞ」

 幸村はうう、と肩をすくめた。放っていた訳ではないのだが、元就への対応もおざなりにするわけには行かないと考えたのだ。
 それに。

「政宗殿の臍はいつも曲がっています」
「違いない」
「だから某も臍を曲げることに致しまして」
「それは良いかも知れんな」
「今日は政宗殿のことを無視しようと思っております」

 珍しく元就が吹き出した。遊女達も腹を抱えて笑っている。

「最上屋が荒れる様子が見えるぞ」
「わっちたちにもしわ寄せが来んすから、やめてくんなまし」
「そうそう。旦那はバカでありんすから、まことに凹みんすよ」

 格子の外の人通りが増えてきた。そろそろ遊女達は少し休み、そのあと昼見世が始まる。遣り手と共に政宗がいない穴を埋めなければならないな、と幸村は考えた。





「今夜は不貞寝です」
「いつもと変わらないではないか」
「まだ、今はこのままで良いかもしれませぬ」
「それも、そうかも知れぬな」
「それに某を置いて宴会とは。甘酒も出ましょうに」
「…………それは、どうであろうな」




 

ヘタレというかもはや!な筆頭。