「花一輪」
ぐったりと柱に身をもたせ掛けた。すでに時刻は戌二つ。日も落ちきり、二階では宴会も終わりかけている。政宗は空になった壜を足元に投げ捨てた。
多少危ない酒であるから、控えなければとは思っていたのだが。おかげで目の前はなんだか極彩色に染まっている。ゆらりゆらりと幻が政宗の前を通り過ぎていった。その中には勿論、あの鮮烈な赫を纏った少年も。
「Shit」
消えて欲しい。自分の前から、彼に纏わる全ての記憶ごと消えて欲しい。そうすれば政宗はまた何もなかったように彼を、幸村を迎え入れることが出来るだろう。
女々しい。
解っているのだが、こればっかりはどうにもならないのだ。元々持っていないものはどうしても欲しくなる性分だ。それが自分の手元から遠ければ遠いほど恋焦がれていく。自分の生まれつきの性格が恨めしい。
つまりそれは、幸村がこの世に存在し続ける限り、政宗は彼の影を追ってしまうということ。遠くに離れれば諦めがつくというわけでもない、絶対的な執着だ。
「うわ、何してるんですか大将」
「何の用だよ」
闇の中からすい、と現れ出た佐助は、政宗から漂うアルコール臭に眉を顰めた。政宗がここまで飲むのは滅多にない。
「無茶な飲み方はやめといて下さいよ」
ため息をついてそれだけ言った佐助は、政宗に一通の手紙を差し出した。
「いつから飛脚の真似事するようになったんだ?」
「茶化すなっつーの」
旦那からですよ、その佐助の一言に、政宗は体を強張らせた。恐る恐る受け取ると、ゆっくりと開く。柄にも無く震える指先を叱咤しながら。
沢潟屋にすっかり慣れた幸村は、主の元就とともに菓子を作っていた。食べるのが好きな分、結構な打ち込みようだ。
段々と政宗との事の気持ちの整理もついてきたようだった。
「旦那、手紙持って来たぜ」
幸村が手紙を渡してから、二日たっていた。現れた佐助に一瞬どきりとした表情を見せるもすぐに笑顔へ変わる。
「すまぬ、手数かけた」
「いえいえ、構いませんよ」
邪魔にならないよういつもより高い位置できつく結った髪がふわりと動いた。
「返事か?」
その様子を見た元就が声をかけてきた。手拭を幸村に渡すと薄く笑む。
「はい!」
「読んでくると良い。抜けても構わぬ」
「ありがとう御座います」
手をさっと拭うと幸村は急いで二階へあがった。自分に割り当てられた部屋に入り障子を閉めると、正座する。横には勿論佐助が控えていた。
一つ大きく深呼吸した。
「様子はどうだった」
「だいぶ参ってるみたいっすよ」
そうか、と幸村は呟いた。
胸が痛んだ。政宗をそうしてしまったのは自分の軽挙妄動だし、そのままなら商売も立ち行かなくなってしまうだろう。早めに何らかの解決をしなければならない。
手紙をそっと開く。流麗な字が薄く滑らかな雁皮紙に踊っている。そして最後に、鶺鴒の花押。
「どうです?」
「……佐助、少しだけ席をはずしてくれ」
音もなく佐助は姿を消した。とりあえず一人になれた部屋で、幸村は自分のひざを掻き抱いた。幸村が政宗に訊ねたのは、正直な自分への気持ちだ。返答は、控えめのように見えて実際は強い告白の言葉だった。
これで、逃げることは出来なくなった。
「「好き」……なのか」
自分の胸に問いかけてみる。この政宗の言葉が嬉しいのかどうか。嫌がっていないことは確かだ。かといって、すごく嬉しい、と言うわけでもない。
「なぜ俺は、安堵している」
そう、胸の中に広がっているのは深い深い安心感。政宗が自分を好いてくれることに安心しているのだ。
好きなのかも知れない。幸村は赤面する。政宗の整った顔を思い出すと胸がとくりと鳴った。嗚呼、と小さく叫ぶと顔を覆う。
気付かなかった。
全然、気付かなかった。
いつかは離れなければならないと思う度に悲しくなるのも、政宗の広い手を惜しむのも、顔を見るたび一瞬見蕩れてしまうのも、初恋の味がすると思ったのも全て。全て、好きだからなのだ。
「「好き」なのだ」
まだ赤い顔を抑えて俯く。気付いた途端に会いたくなった現金な自分に悪態を吐く。それでも収まらない胸の高鳴りに、また顔を赤くする。
「佐助」
「人使いの荒いこって。で、呼ぶんですか行くんですか?」
「…………今日の真夜中、大門前と伝えろ」
「はいはい」
佐助は優しく、まるで手のかかる弟に対するように幸村の頭をがしがし撫でた。
「子ども扱いはするなといってる」
「お兄さんは応援してますよー」
「うるさい」
口を尖らせて抗議すれば、クスクス笑ってから佐助は消えた。
少しだけ静かだ。すでに大門は閉められていて、月が下界を見下している。座敷から洩れる光が美しかった。
そんな中にぽつねんと赤が立っていた。すぐ近くには、見えない影が付き従っている。政宗はその光景に息を呑んだ。
手に、入らない花が咲いている。
呼ばれたのだから彼は決着をつけたのだろう。それが自分にとって死刑宣告ともなりかねないのだが、来ない、と言う選択肢は政宗にはなかった。
幸村は政宗に気付いて軽く手を振ってきた。
「こちらです」
「……久しぶりだな」
幸村は政宗のやつれた顔を見て、息を詰まらせたようだ。一瞬後に顔を背けると、「そんな久方ぶりと言うほどでは」と早口に言った。
政宗にとっては久々に見る顔だ。思わず手を伸ばして幸村の顔を自分に向けさせる。数日振りに見る顔が、酷く、愛おしい。
「ま、政宗殿」
暗い闇の中だが、はっきり見える。幸村の頬は赤く染まっていた。
ゆっくりと幸村は俯いた。さらさらとした髪が手にあたったので髪を漉いてやる。何だか酷く安らかだ。幸村が側にいるだけなのに、普段とは全然違う。幸村が居なかったことなど思い出せないくらいに政宗は幸村を求めていた。自然なものとして、いつも側にいるべき存在として。
「好きだ」
「そ、某も好きで、御座います……」
顔を上げた幸村は自然に目を閉じる。まるで予定調和のように政宗は幸村の唇に自分の唇を重ねた。
長くて甘い接吻が終わると、幸村は恥ずかしそうに笑った。政宗も照れて頭を掻いてしまう。もう一度軽く口付けると、二人は最上屋への道を歩き始めた。
「やはりな」
「じゃ、荷物は持っていくんで」
「ああ……ついでにこれも持っていけ」
「…………ちょっと、気、早くない?」
「余りだ」
「しかし……紅白饅頭なんか」
「喜ぶだろう、あれは」
「まあそうですけど」
「ならば、構わないのではないか」
「……そうっすね」
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あああああああああああなんというリリカル!
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