※Empty Spacesの続き。ある意味報われない。

「Outside the wall」


 障子の外で幸村はため息をついた。政宗の光が洩れる部屋を名残惜しげに眺めると、満月の月が爛れる庭へと歩き出す。爛れて、それでも冷たい光が幸村を洗った。鮮やかな月の銀が幸村の体に染みていく。

 それは燃え盛る情欲の焔を撫して鎮め、当たり障りのない日常へ戻してくれるのだ。

 枯山水の庭は降りて楽しむものではない。しかしその清浄な雰囲気が、疲れた幸村に快く映った。その場所に降り立ち、少しでも心を鎮めたかった。
 足を進めるごとに、玉砂利がしゃり、と軽く鳴る。再現されている大海原の真ん中にまで幸村は歩を進めた。突き出している岩が守る縁側の向こうとは、世界が違う。

 人がいるべき場所ではない。枯山水は世界を縮小し、映しあげた場所だ。人の心の中にある何かを、何か不思議なつかめないものをつかむための場所だ。

 このまま、いっそ、溺れて死んでしまえたなら、そう幸村は自分を嘲笑う。苦しいだけだ。水の中で遠くなる今を見据えるほうが、絶望的とは言え絶望的だからこそ優しく楽だ。希望は時に人を支えるが、時には鋭く人を刺す。決して死ぬことは出来ないように縛り付ける。
 政宗の体温は幸村よりも低い。情事の最中でさえ、その体も、眼差しですらも熱くなることはない。幸村が政宗の熱を感じられるのはただ一箇所だけである。それ以外はまるで冷たい。

 それならばそれでよかった。何も希望しないですむのだから。しかし政宗は時々希望を見せる。先程のように気まぐれに、気まぐれでも嬉しかった、事が終わっても部屋に引き止めたり、幸村の話を強請ったりする。それは全く、猫のような気まぐれだ。
 解っている。幸村はそう自分に言い聞かせる。あれは完全なる気まぐれで、それ以上の何物でもないのだ。そこに希望をかけることは、とても愚かなこと。

 裸足の足に玉砂利が痛い。それを上回る痛みなど、掃いて捨てるほどある。だが幸村はその痛みに心を集中させた。そうすれば頬を伝う何かを無視できる。一生抱え込むだろう痛み、それは呼吸困難になるほどの。





 愛。陳腐である。そして、無意味である。それは政宗の前に残酷な衝動となって姿を現す。

 幸村の双眸から溢れる哀しさは、政宗の心の中の何かを突き動かしてあまりあるのだ。それを正面から受け止める勇気を政宗は持っていない。そうすれば政宗は彼を殺してしまう。流れる血を求める殺し方ではなくとも、社会的に彼を抹殺することくらいはしてしまいそうなのだ。
 憎しみだけでも一身に受けることが出来ればいい。このような無意味な考えまで頭の隅をよぎる今の状況はあまり好ましくない。相手を慈しむことを忘れてしまったかのような自分に、ため息を吐いた。

 例えば、幸村が自身の部下だったのならばどうだろう。ここまで悩むことはあっただろうか。彼を好きだということで悩むことはあっただろうか。
 遠く離れているくらいが、手に入りそうで入らない程度の距離が政宗には必要なのかもしれない。だがきっといつか、幸村に自分の手は届く。果たしてその時耐えられるか、自信がなかった。誘惑は常に甘美だ。その後に来る後悔の味が苦いほど、甘みは増す。いっそのこと、残虐で人間性の欠片もない性格であれば、ただ無為に幸村を愛せただろう。

 障子を透かす月光は、ただ優しく。流れる徹底的な無関心さはただ認め続ける。乱れた床も何もかも、照らされて奇怪なオブジェのようだ。先程まで熱が籠もっていたとはとても思えないその冷ややかさに、政宗は身震いした。

 羽織った単はいまだに冷たい。己の体温の低さに舌打ちをして、襟を掻き合わせた。抱いていた幸村の体温を思い出す。
 子供のように高い体温だった。いや、彼はまだ子供と呼ばれても支障はない。精神と体のバランスが取れていない、いびつな子供だ。それは政宗も同じことではある。

 ああ、と声を出す。手を伸ばす方法を、自分も相手も知らない。二人の間にある壁は依然としてそのままで、二人の外にある壁もまだそのままだ。これでは幸せ以前の問題である。幸村をアンバランスにしたのは政宗の罪。教え込んでしまったのは政宗なのだから。
 二人共、手を伸ばせれば。政宗は幸村が消えた障子に近づく。月の光で頭を冷やさなければ。そして、消えていくことに気付く。凶暴な衝動が、政宗に根付いているのを幸村は気付いている。

 幸村が自分に惚れている事に、政宗は気付いた。

 障子が開く。

 縁側へ、歩き出す。





「……政宗殿?」
「幸村!」

 頬に二筋、光が反射していた。思わず駆け寄り手を伸ばす。海の真ん中で、二人は出会う。玉砂利が音を立てた。
 薄い壁が一枚破れるのを二人は知る。知っていることなど何一つない。知るべきことだけが目の前に積みあがっているのだから。政宗の手に幸村の体温がゆっくりと移っていく。肩にのしかかる重さが消えていく。抱え込んでいたものは軽く、月光へと解けていく。知っていることはないけれど、解っていることはある。

 体よりも心よりも、瞬間的なものでお互いを認識している。月の光よりも海の音よりも、それは早く確実だ。言葉に落とす前に、思考に落とす前に、あるかないかのコンマ一秒。そこでもう相手を理解する。

 政宗は幸村の手を引いて部屋へとあがった。幸村もそれに従う。
 溶け合うことが出来ないから、二人共お互いを求めるのだ。何度も何度もキスをして、確かめる。
 そして、月は退場した。





 抱き締めた幸村に、政宗はキスをした。

「起きろよ、Darling。朝だぜ」

 幸村が政宗の部屋で朝を迎えるのは初めてだ。三ヶ月と言う、滞在するには長い時間で、初めて。身じろぎした幸村にもう一度キスをすると、政宗は微笑む。

 昨夜はそのまま何もせずに、ただ抱き合って眠った。子供のように幸せな時間、それは本当に久々のこと。

「……んあ?まさむね、どの?」
「おはよう」

 幸村も微笑んだ。とろとろと幸せが降り注ぐ。涙と痛みの対価が支払われている。きっとまるで王冠をかけた恋のよう。手放せるものは全て手放し、二人は一つのものになるのだ。
 相手が支払うのと同じだけ支払えば、問題はない。いつか、手放したものたちに会えるだろうか。その時はきっと、二人で最高の笑顔を浮かべられるだろう。




 

何もかも投げ出すエンド。南下してインドネシアとかで幸せに生きて小十郎と佐助に見つかって殴られればいい。