「恋湯殿」
妓楼には内湯がある。商売の特殊性から許可されていたのだが、遊女が一度に5,6人は入れる大きさだ。広いと思えば広いが、どうやら。
「銭湯に行きたいで御座る」
「内湯入れよ……」
幸村にとっては狭かったようだ。というよりはむしろ、遊女達は幸村が居ても普通に湯船に入ってくるのでそれに辟易したのかもしれないが。
出るに出られず、何度か茹蛸になって倒れ、その度に遊女達に引っ張り出されているのだ。確かに情けないし恥ずかしい。だが銭湯もさして代わり映えしないのだ。洗い場は男女で分かれているが、中は混浴なのだから。
「行ってみたいので御座る」
「……オイ」
その上中は真っ暗である。いつ誰が来ても解りはしない。
幸村の追っ手が居ても解らないわけで、それはあまりありがたくない事ではないのだろうか。
「平気っしょ。旦那も大将も、それなりに強いから」
「アンタは来ない腹だな」
佐助はすっかりくつろいで、お茶なんかを飲みながら幸村に食いつかれている政宗を観戦していた。
「あったりー。たまには子守休ませて下さいよ」
「子守とはどういう意味だ!!」
「まんまの意味だろ」
「政宗殿まで!!」
気持ちは判らないでもないが、それのしわ寄せは政宗に来るので非常にありがたくない。
溜息をつくと政宗はそこらへんに居た禿に風呂道具の準備を頼む。そんな政宗に、幸村は輝いた目を向けた。にやつく佐助を睨みつけると、政宗は再び溜息をついた。
吉原にも銭湯は数箇所ある。個人営業の切り見世の遊女や、先輩遊女に遠慮した新人遊女や禿、また居続けをしている客、それに吉原で生活している一般商店の人間が利用していた。
「Sit!浅葱裏ばかりだぜ」
まだ昼見世の時間帯。夜は仕事で忙しい連中や、門限がある国侍、つまり参勤交代で江戸に詰めている地方から来た武士達が殆どだ。この国侍たちの殆どが吉原の粋を理解できず、野暮、武佐、浅葱裏と嘲られ遊女達に嫌われていた。
当然妓楼にとってもあまり良い客とは言えない。粋を重んじる政宗にとっては、天敵のような存在だ。
「登楼ってくる方は居るのであろうか?」
「ウチには来ねぇだろ」
江戸詰めの長い国侍などは最上屋の雰囲気を好いて来てくれるのだが、裏を返せば一見にはとことん冷たい妓楼なためあまり近寄っては来ない。
遊女達も昼見世はあまり真面目ではなかった。
「島の湯……ですか」
最上屋からは離れた場所にある銭湯は、幸村の興味を惹いたらしい。しきりと達筆な暖簾の文字に見入っていた。近所にも一軒銭湯はあるのだが、政宗はいつもここを使っている。
「おや、幸村じゃねか」
「島津殿!?」
なぜなら最上屋の遊女達の書の先生、島津義弘が番台に座っているからだ。ここの銭湯は島津の実家らしい。
「どうした、見世に湯があるじゃろ」
「銭湯に行きてえって煩えンだよ」
「某が無理を言って……」
恥ずかしそうに俯いた幸村の頭をがしがし撫でて、島津は笑った。
「気にしねでいい。こん男はおことに甘いから」
政宗は厭そうに顔をしかめると、番台に二人分の金を置いた。島津は今度は意地悪く笑うとそれを受け取る。
脱衣所で服を脱ぐ。この時代、風呂には素っ裸では入らない。女性は湯文字、男性は下帯と呼ばれる湯具をつけて湯船に入った。幸村は細いながらも筋肉が付いた体をしている。手は小さくはないが大きくもなく、骨ばっていた。対して政宗の手は大きく力強い。
「おい、手」
「??」
銭湯と洗い場を仕切る柘榴口は低く、屈まないと通れない。それはつまり、外の光は中に入らないということでもある。湯船はいつも暗いのだ。中で何があってもわからないし、はぐれたりしたら事である。
だから手を繋ぐ、というのも安直かもしれない。だが多分一番効果的だろう。
幸村は少し戸惑ったようだが、すぐに笑顔になった。握ってみれば、幸村の掌は政宗の掌の中にすっぽりと納まってしまう。骨ばった肉刺(まめ)だらけの手は武家の手である。町人とは肉刺のできる位置が違う。それは身分の違いを思い出させて、政宗は少しだけ淋しくなった。
「冷えもので御座います」
政宗はそう言って湯船の中に入った。自分も言ったほうがいいのか、幸村は戸惑ったが言う前に入ってしまった。まあいいか、と政宗の後についていく。
実際中は真っ暗だった。だがシルエットでなんとなく女性か男性かは解る。女性の脇を通る際は思わず身を硬くしてしまった。ずんずんと湯船の中を歩いていく政宗は湯船の隅まで来てようやく足を止める。
「ここならいいだろ」
幸村は頷いて、湯に浸かった。
最上屋の内湯よりもだいぶ温度が高い。幸村は熱い湯のほうが好きである。屋敷にいた頃は湯ではなく、戸棚風呂だった。湯と戸棚風呂だと幸村は湯のが好きだ。
体を伸ばしてリラックスする。内湯のように遊女が入ってきてもからかわれることはない。からかわれることには慣れっこだが、さすがに一緒に湯に入るのはなんともいただけない。
繋いだ手をじっとみる。政宗の手は非常に大きい。
自分の手が小さいとは思わないが、すっぽりと入ってしまうのだからどことなく劣等感がある。いつか、この手とも離れるのだと考えると少し悲しくなった。
幾ら太平といわれても、辻斬りや強盗に火事など、死ぬ種には事欠かない。ましてや自分は命を狙われている身なのである。死ではなくとも、幸村が家を再興させる時には当然最上屋からは出て行かなくてはならないし、幸村は江戸に来れるかどうかすら解らないのだ。
確かに繋いだ手はここにあって現実だ。幻となってしまう日が来るのだけれど。
しばらくそのまま無言で湯に浸かっていた。
すると、暗闇の向こうから僧形の人物が幸村たちに近付いてくる。隅に来たがる客もいるだろうと幸村は少し体をずらした。しかし相手は幸村の横にぴったりとくっついて座った。
また体をずらすが、やはりぴたりとくっついてくる。なにやら不穏な空気を感じた途端、相手は幸村の下帯に手を差し入れた。
「!!!」
一瞬混乱する。大体幸村は男なのだ。衆道の話は聴かないでもなかったが、まさか自分がその対象になるとは思わなかった。
相手の手は幸村のそれをねっとりと撫で包む。嫌悪感に言葉も出ない。思わず政宗の手をぎゅっと握ってしまった。
「どうした、幸村…………、何してンだテメェ」
政宗の低い声に相手は怯んだらしい。眼帯の人相の悪さも手伝ったのか、すごすごとどこかへ行ってしまった。
「大丈夫か?」
素直に頷く。もう少し政宗が気付くのが遅れていたら、幸村は容赦なく相手を殴っていた。その点では、相手にとっても幸せだったかもしれない。幸村の容赦のなさは本当に容赦がないのだから。
まだ入るか?と政宗は尋ねてきたが首を振る。早くここから出たかった。
二人とも無言のまま体を洗っていた。幸村としては何か話して欲しいのだが、政宗は黙りこくったままである。
何だか申し訳なくなってくる。銭湯に行きたいと我侭を言い出したのは幸村だし、先程のような行為をされてしまったのも幸村が油断していたからだ。武家としてはなんとも情けないことである。
「おい、陸湯(おかゆ)もらってこい」
「陸湯?」
「あそこで三助が配ってるだろ」
貰ってきた陸湯をかぶりながら幸村は考えた。政宗は幸村の事を好いてくれているのはいくら鈍感でも解る。そこから先に幸村はどうしても思いが至らない。幸村も政宗の事が好きだがそれは政宗が幸村に対して抱いているものとはまた違う。
やはり、先にあるのは先程のような行為なのだろうかと、幸村は思った。
町人ならばいざ知らず、武家は性に関してとことん厳しい。特に幸村は武芸に全てをかけていたようなものなのだ。その手の行為は多少耳で聞いただけの知識しか持っていない。
やはり会話は殆どないまま、二人は洗い場を後にした。
「気ィ済んだか?」
「かたじけない」
番台手前に来て、漸く幸村は気付いた。先程のような行為を政宗が望んでいるとして、それを知ってまで自分は政宗の傍にいられるのだろうか。
湯気に当てられて少し思考が鈍っていたらしい。全く考え付かなかったことが不安材料として自分の前に上がってくる。ここで取れる手は多くはない。幸村は最上屋に居たい。しかしそれは同時に政宗を苦しめることにも繋がる。
一体、どうすればいいのか。
自分が頼り、尊敬している人は簡単に連絡が取れない。いや、佐助を使えば連絡は取れるが、佐助には知らせたくない内容だ。それに、最上屋に来る折、幸村はその人に簡単に頼らないよう自分に制約を課している。
二人の次に相談するとしたら政宗なのだが、こんな話、本人に聞かせたらまずい。
「幸村、大丈夫か?」
突然立ち止まった幸村を政宗が振り返った。
その整った顔を見て、幸村は思わず赤面した。そのまま政宗を突き飛ばす。
「ってオイ!!何だいきなり!」
「申し訳ござらん!!」
何が何だか解らない内に幸村は走り去っていった。残されたのは呆然と立つ政宗と、番台で肘をついて成り行きを見ていた島津だ。
「……何だアレ?」
「……若いのォ。まあ精々気張りんしゃい」
「マジかよ」
それからしばらく、最上屋から幸村の姿は消えることになる。
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筆頭は据え膳すら食べません。湯は「ゆう」と読む感じで!
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