「箸一膳」


 何と言うか、緊張感がない。ここは一応大見世で吉原でも最高の妓楼のはずだ。なのに、この緊張感のなさといえば多分天下一品だろう。

 まあよく言えばおおらかな妓楼で、馴染みの客にもこの雰囲気を求めて訪れる者もいる。ただ吉原の張りとか意気とか、そういうのが少し薄いわけで。粋な客の中には「野暮ったい」とここを敬遠する者もいる始末。  全く、楼主の気苦労は絶えない。
 遊女の質はいいし、他の妓楼で張っていた遊女もこちらに来ることを希望することも多い。客は増えるし金は入るしいい事ではある。

「ああ、なんだって俺はこんなことしてんだ」
「どうなさった?」
「なんでもねェよ黙れバカ」

 妓楼は慈善事業ではない。なのに、一人バカが紛れ込んでいるせいでこの有様なのだ。遊女の身請け率は吉原の中でもトップクラス。嫁探しに来るアホまでいる今の状態は、粋を気取る政宗にはあまり嬉しくない状況だ。
 今だって、本当は忙しい。ここの妓楼は主人が一人しかいない。ひとしきりの業務は番頭新造達に任せてあるが実際なんでこんな事をしているのか。

「こいこいで御座る!」
「あァ?ってカスかよシケてんな」
「な!しかし某の勝ちは勝ち!」
「解ったから俺に仕事をさせろ。Okay?」

 ちなみに勝敗は十五対一で政宗の圧勝である。さる筋から政宗に預けられた幸村は、眉を顰めて唇を尖らせた。

「今日は急がしいンだよ、江戸行かなくちゃなんねェからな。後は女に構ってもらえ」
「……勝ち逃げで御座る」
「何とでも言え」

 そういって立ち上がる。政宗はどうもこの居候が苦手だ。
 何やら大変な血筋の人らしいが、どうもそうは見えない。女ではないから奴刑でもなく、とりあえず逃げているとかそういう雰囲気もない。彼を預かった理由も元々借りがある相手からの頼みなので断れなかった、が真相だ。政宗より二つばかり年下だというが、とてもそうは見えない。万事において野暮であり、頭の中身まで筋肉で出来てるのではないかと思うくらいのバカだ。名前も下しか知らない。

 たぶん、お家のいざこざで此処に匿われているのだろうが。

「……幸村も行きたい」
「Wut?アンタ状況解ってンのか?」

 自覚なしである。

「おい、何とか言ってやれよ」

 振り向いた先には先程からの花札を、我関せずと見守っていた一人の男。人懐こい笑顔を常時浮かべている彼は、幸村のお目付け役だ。
 というより、付き人である。

「旦那、解ってるんでしょ?」
「しかし……」
「ほら、大将を困らせない。紋日が近くて忙しいのに、花札付き合ってくれたんだから」

 この男、名前は佐助と言うらしい。不確定なのは本人に名前を尋ねてもはぐらかすし、幸村が佐助と呼んでいるのを聞いただけだからだ。部屋を与えているのでこの妓楼に寝泊りしているのは確かだが幸村とは違い食事等は自分で買っている。

 どこからその金が出てくるのか、政宗は知らない。多分政宗が借りを返した相手からだろう。

 得体の知れない男なのだ。ただ幸村とは違い、此処がどういう場所なのか、またどんな行事があるのかなどかなり詳しい。何度か遊んだこともある様子だった。
 実際彼が幸村を抑えてくれるのはありがたい。

「おい、お前ら!」

 若い衆(し)や遊女達が溜まる場所で花札をやっていたのだ。周りはもう人の山。政宗の声に、なぜか歓声が上がる。全く暢気な妓楼である。

「しばらくこいつを構ってやってくれ」
「きいしたきいした!まことに可愛い子だわ」
「幸村ちゃん、こっちにおいで。わっち達と遊びんしょう」

 そんな男は放っておいて、とさんざめく遊女達を政宗は一睨みする。しかしすぐに溜息を吐いた。
 幸村は初めこそ恥ずかしがっていたが、次第に慣れてきたのか今では彼女たちの崩した服装に何も言わない。ただ流石に抱きつかれたり撫でられたりするのには抵抗していたが。遊女達からすればいい玩具なのだろう。遊女の監視役の遣り手まで、一緒に混ざって遊んでいるのだ。

 この緊張感マイナスの妓楼こそ、政宗が運営している最上屋なのである。





「そもさんかこなさんか 九年何苦界十年花の春」

 男にとってはこの世の楽園になりえる吉原も、遊女にとっては苦界である。妓楼の主人を亡八、八つの徳行を忘れたものと称するのもそこに起因するだろう。ただ遊女にも遊女なりのプライドがあり、それは吉原の名物ともなっている。
 通ともなれば過ぎ行く時の楽しみ方を充分に弁えていた。彼らは遊女に深入りはしない。また、ただ欲を満たすだけに来る客もいる。それらも、大切な客だ。

 しかし最上屋は大見世である。一番格下の遊女でも部屋持ち、通人を対象とした妓楼なのだ。
 大門へと続く道をとぼとぼと歩きながら政宗は再び溜息を吐いた。遊びの場所に嫁探しに来てどうするのだろう。そういう目的が悪いとは言わないが、野暮だ。好きあった後に嫁に取るなら解らないこともないが、初めからそれが目的とは嘆かわしい限りである。

 それもこれも幸村の所為なのだ。

 彼が居候し始めたのは三年前。先代から政宗が妓楼を譲り受けたすぐ後だ。そのときにあったごたごたを取り成してくれた人の頼みで受け入れた。あんなバカだとは思っていなかったが。
 野暮なのは見た瞬間から解った。遊女達に囲まれて顔を紅くして「破廉恥である!」などと叫んでいたのだから。妓楼で破廉恥などと言ったら何も始まらない。
 問題はそれからだ。遊女の身の上話や何やらを聞いて、彼女達の脱走の手助けをしようとし始めたのだ。それは佐助が全部未然に食い止めたが誉められたものではない。

 今までどうやって育てられてきたのか解らないが、ここは強かな町だ。女も男も相手の裏を掻くために奔走し、殆ど全てが利欲で動く。それを知ってもらわないことには話にならなかった。
 今でも遊女の情夫(まぶ)を部屋に匿ったりなんだりしているようだがそれは別に構わない。喜助たちもやっていることだからだ。ただ幸村はこの妓楼で、遊女の発言力を強めてしまったのだ。
 悪いことではないのかもしれないが、何だか癪である。遊女達の進言によってよくなったこともあるからだろう。緊張感のない妓楼になってしまったが。

 大門を抜けて衣紋坂を上り、見返り柳を追い越して浅草御門へ向かう。徒歩で向かうには少し遠いが仕方ない。本当は日本橋まで行かなければならない所を御門で勘弁してもらったのだから。
 ぼんやりと歩いていると顔見知りの役人などとすれ違っていく。眼帯をしている政宗は結構目立つので、その都度彼らに挨拶をしなければならないのが面倒といえば面倒だった。そういえば紋日が近い。多分内所に泣きつかなければ着物が買えない遊女はいないだろう。

 遊女の事を心配している自分に気付いて舌打ちする。
 昔はこうではなかった。それもこれも、幸村の。





「昔は政宗殿も?」
「そうそう、旦那様もわっち達の事を馬鹿にしていんした。ねぇ?」

 幸村は首をかしげる。今の政宗は遊女達と仲がいい。よく色々な話をして笑いあっている姿しか見たことが無い。
 そう遊女達に告げると、彼女達は顔を見合わせて笑った。

「それは幸村ちゃんが来てからの話でありんすぇ。 それまでは亡八でありんした」
「本当、幸村ちゃんには感謝していんす」
「それは嬉しい」

 誰かに感謝されることは嬉しい。それが苦境にいる人を少しでも救えたことによるなら、尚更だ。
 元々幸村は武家の子供だ。お取り潰しにあった藩の重臣の子である。そのお取り潰しには色々な裏があって、更に幸村の父がまたややこしく絡んでおり、結果幸村は命を狙われる身となっている。

 武道一本槍の生活をしており、このような場とは全く無縁だった。だから、遊女達が何を背負っているのか幸村にはまだ理解できない。それでも、少しでもここの雰囲気が明るくなればと政宗に進言し続けたのだ。
 華やかではあったが明るくはなかった、最上屋を幸村は変えてしまった。

「で、幸村ちゃん。ちょっと頼みがありんす」
「?何だ?」
「佐助さん、いいでありんすか?」
「おー、全然」

 にやあああっと遊女が嗤った。幸村は厭な予感に首をすくめる。
 幸村の絶叫が響く部屋で、佐助は一人やっぱり我関せずと座っていた。





 大門をくぐって政宗は首を回した。多分口を開いてしまったら、罵詈雑言しか出てこないだろう。

「あンのクソジジイ……」

 ぐるるる、と喉の奥で唸ってしまうほど政宗はイラついていた。幸村を預かる期間が延長されたのである。政宗だってお店(たな)を継ぐときに色々あったから、武家には問題がつき物なのは知っている。が、幸村は。
 自分と妓楼を変えてしまうのだ。
 悪いことではない。ただ、怖いのだ政宗は。離れなければならない相手に情を移すのが。自分の物にできればいいのだが、信用によって預かった人間なのだ、その信用を裏切ることはできない。何より粋じゃない。

 正直に言って。

 政宗は幸村の事が、好きだった。友愛ではなく、性欲の相手として。一度もそういう行為に及んだことは無い。むしろ同意もなしにそういう行為をすることは、自尊心が許さなかった。どうせなら相手から身を任されたいものである。
 それはきっと叶わぬ望みとやらなのだろうが。

 そんなこんなを考えつつ、妓楼の簾を潜った、ら。

「ま、政宗殿ーーーッ!!」
「は?」

 禿(かむろ)か新造(しんぞ)だろうか。無地色、桜立涌、菊青海の小袖を三枚重ねた上の振袖は、鴇色に百花に舞う揚羽蝶と裏鏡の柄。裾に咲く椿が華やかだ。前に長く垂らす柳に結んだ帯は臙脂に色とりどりな唐花文と金糸の九曜文で彩られている。なんていうか、派手だ。派手なのは見慣れているが、更に派手だ。

 こんな遊女居たっけ?と考えてみる。自分の腰に抱きついて泣いているらしいそれの髪は、髷を結わずに束ねてかんざしを挿しただけだ。その髪に見覚えがある……とまで考えて、ようやく政宗は現実を認識した。

「何やってんだお前ら」

 腰に張り付いている幸村を剥がしながら、周りで大爆笑している者達に呆れ顔で言った。
 どうやら遊女連中に遊ばれたらしい。どっから引っ張り出してきたのか、帯は政宗の家に伝わっているものである。

「見んしたか、今の旦那の顔」
「バカみたいに口あけて、だんならしくありんせんで」
「もう一度言ってみろ」

 きゃあきゃあ言いながら遊女達は二階へ逃げていく。全く暢気にも程がある……と政宗は肩を落とした。
 幸村のほうを見れば、玩具にされている自覚はあるのかないのか、もう遊女達と話している。鴇色も似合わないことはないが、幸村にはもっと紅い色が似合うだろう。

 結構華やかな顔立ちをしているので、今着ている派手な振袖にも負けていない。着せ替え人形にしたくなる気持ちも解らなくはない。

「幸村、手伝え」

 居候といっても仕事はさせる。なんたって人手が圧倒的に足りないのだ。それに読み書きが(とりあえずは)できる幸村は結構貴重な人材だ。遊女は大抵読み書きができるが、若い衆にはできない者も多い。

「何をするのだ?」
「帳簿付けだよ」

 そろそろ夜見世が始まる頃合だ。忙しくなる番頭新造にいつまでも雑務をさせておくわけにはいかないので、主人自ら雑用に走るわけである。
 まあ大事な仕事といえば大事な仕事だ。

 振袖のままでついてきた幸村は正座して筆を取った。帯は邪魔にならないよう後ろに回していた。さらさらと書く字は案外丁寧で綺麗である。

「政宗殿」
「何だ?」
「此処はこれでよいのだろうか」
「…………ああ、平気だ」

 仕草の一つ一つに生まれが見える。綺麗と言うか、幸村の場合は華やかと形容できるだろう。普段は粗野とも取れる態度だが、食事の姿勢や書き物をしている時の姿勢は美しい。思わず見とれてしまうほどだ。

「旦那、姿勢綺麗でしょ」
「……まあな」
「普段からああだったらねえ。いらない苦労もしないんだけどさ」

 佐助の一言に政宗は思わず吹き出す。先日、幸村は階段からそれは派手に落ちたのだ。瞬間的に受身を取ったので大事には至らなかったが、本当に武家の子供かと疑う鈍さだ。
 二人に笑われたことに気付いた幸村が不機嫌そうにこっちを見た。

「何を笑っておるか」
「旦那は姿勢がいいね、って事」
「嘘を言え」
「本当ですよ、ね、大将?」

 佐助の言葉にまだ少し笑いながら頷いた。幸村は不審そうな顔でしばらく思案していたがまた書き物に戻った。
 そういえば、と政宗は思い出す。最中を買ってきたのだ。幸村に甘いものを与えておくとしばらく大人しくしているから、仕事ばかりで構えない時のために。自分でも幸村に甘いとは思うが、構わないとそれはもう煩いのである。

「あとどの位だ?」
「もう終るで御座る……これで」
「んじゃ茶でも淹れるか」

 下女に茶と最中を持ってくるよう頼む。茶、と聞いただけで甘いものが出てくると思い込んでいる幸村は目を輝かせた。佐助が肩をすくめるのが見えた。気持ちが解る。
 政宗はどちらかといえば茶請けには漬物などのほうが好きだ。が、幸村が来てからはほぼ甘いもので占められている。

「ああ。政宗殿」
「あン?」
「これ」

 幸村から手渡されたのは、政宗の名前が入った箸袋だ。中には象牙の箸が一膳入っていた。見慣れたものではあるのだが。

「Ah――、意味が解らねェ」
「みなに渡せと言われた。そういえば箸はたくさんあるが、政宗殿の名前が書いてあるのは一つもないな」

 箸袋は遊女の馴染みとなった客に与えられるものだ。箸一膳の主になってからようやく遊女と一夜を共にできる。政宗の箸がないのは当然である、主人なのだから。

 一体どういう嫌がらせなのだろうか。

「……佐助」
「まー、旦那はよく解ってないみたいだし?大将案外奥手だし?」
「??どういうことだ、佐助」
「とりあえず邪魔者は消えるから、お好きにどうぞ。紋日の祝儀だと思って」

 つまり、妓楼中グルになっての嫌がらせらしい。出て行く佐助の背中を思いっきり睨みつけて、政宗は溜息を吐いた。幸村はきょとん、としている。

「箸の意味、教えてやろうか」
「ああ?」
「遊女の馴染みになるってこった」

 一拍間をおいて、幸村の顔に血が上った。

「な、ななな、な!」

 体をわなわなと震わせると、幸村は。

「は、破廉恥であるーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
「ぐはッ……手加減なしかよ……」

 政宗の「鳩尾」に渾身の一発を差し出した。





「申し訳御座らん……」
「いや……別に構やしねェが」

 幸村は政宗に膝枕をしていた。政宗が先程の一撃で戦闘不能になってしまったからだ。

 政宗の事は嫌いではない。むしろ正体不明な自分を何も言わずに匿ってくれるし、甘いものもくれるし構ってくれるしで好きである。
 箸の件だって政宗が悪いわけではない。どちらも被害者だ。素直に謝るに越したことはない。

「幸村は政宗殿の事が好きであるが……」

 なんか政宗が痙攣した。
 不思議そうに政宗の顔を覗き込めば、しかめっ面である。

「……続けろ」
「好きではあるが、その、馴染みとかそういうのじゃないのだ」
「そんなこったろーな」

 何だか政宗は不機嫌だ。ただ何と言えばよいのか幸村には解らなかったが、悪い不機嫌さではなかったので思わず笑ってしまう。
 政宗もつられたように微笑むと、幸村のかんざしに手を伸ばした。

「とりあえず着替えとけ」
「うむ」

 少しふらふらしながら立ち上がった政宗を支えて、一緒に部屋を出ようと襖を開けた先には。

「仕事しろテメェらーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」

 客も含めて数十人が出歯亀をしていた。わらわら散っていく人波に、幸村は呆然と立ち尽くす以外なかった。






じょうろやぱられる!筆頭がオーナーのキャバクラとどっちにしようか迷ってました。