※幸村がもし松永軍に従軍していたらというif話。

「あらざりし」


 自分が何を欲しがっているのか、幸村はいまだ知らない。あの慕っていた人は欲しいという次元を超えてただ幸村を照らしていた。その人亡き今、幸村は進むべき道を失っていた。

「卿は今は虚ろだな。中身が欲しいか?」

 その言葉が甘く響く。顔を上げれば、嘲りを含んだ微笑が見えた。

 もう一度中身が欲しいか、と問われる。問われるがままに頷けば、久秀は楽しそうに笑った。
 依存を取られたのだと気付くがもはや何もかもがどうでも良かった。生きていたとしてもあの頃以上の充足はもう得られない。喪失を知ってしまえば満たされることは永遠にない。ならば、餓鬼のように飢えを満たす何かを食らい続けるしか、道はない。

 それでもきっと、満たされないのだろう。

 白と黒の着物を手渡される。そして冷たい骨のような、白い槍。幸村の愛槍に良く似た、しかし燃える炎ではなく白の静寂を纏った槍だ。

「欲しがればよい。私が奪ったように、卿も誰かからその中身を奪い取ればよかろう」

 これを纏えば、幸村はすべての武士としての矜持と誇りを捨て去ることになる。その代わり何を得るのだろうか。たくさんの侮蔑と嫌悪と恐怖と、そして。
 一瞬だけあの偉大な虎が脳裏に浮かんだ。死者は生きるものに影響を与えられない。それは影だ、と幸村は嗤った。

「それでいい」

 静かに立ち上がった幸村を見て、久秀が指差した。その先には、廃れた都があった。





 夜の廃都は一層に不気味だった。何の酔狂か、松永久秀は伊達軍に興味を示したらしい。竜の爪がどうのと言っていたので狙いは政宗なのだろう。

「厄介だな……」

 人質として捕らえられた自軍の兵を救うため、自ら出陣した政宗は舌打ちする。元々、三好三人集を擁する厄介な集団だったのだが、最近になって更に一人、厄介な人間が紛れ込んだ。「つきのおきな」と呼ばれる男だ。

 その長い名前の由来は、得物である白い槍の軌跡が月のようだとも、また「燃え尽きたやたのからす」だからとも言われている。太陽が燃え尽きることなどあるものかと思うが、人が燃え尽きて何か別のものになってしまっているのならその別名もまた、正しいだろう。
 翁と呼ばれているにもかかわらず、男はまだ若いと聞く。そして彼は、主君であるはずの久秀を憎悪しているとも聞く。なぜそんな男が従軍するようになったのかはわからない。だが、今この瞬間、その「つきのおきな」を強大な障害として政宗は認識する。

 彼我の兵力差は政宗に軍配が上がる。しかし、人質を護りながら戦うのだ。

「行くしかない、な」

 打ち捨てられた都の中はまるで迷路のようだ。敵は思いもよらぬところから沸いて来る。それらを捌きながら政宗は中央へと向かった。古き時間を経て土に埋もれたり、水に浸食されたりなどもしているがその木造建築の美しさは損なわれていない。
 それらを惜しげもなく爆破して走る松永兵にはうんざりだ。その性格と見た目に反して案外雅やかなものを好く政宗だ。優美な木造の曲線が破壊されるのが気に入らない。その重要性すらもきっと解っていない人間に破壊されていくのはなんともいいがたく不快だ。

 さっさと終わらせてしまおう。そう思い、三好三人集を下したときだった。

「強い」

 静かに響く声が政宗を貫く。

 咄嗟に刀を前に構えて防御の体勢をとった。違わずに襲い来る炎を纏った衝撃波。顔を上げれば、月光の中、一人の青年が立っていた。否、少年と言っても差し支えはないだろう。
 白と黒、死と生、静寂の冬と躍動の春、雪と土の色。始まりと終わりの色に身を包んだ少年は、政宗を老いた瞳で見つめた。

「アンタ……」
「独眼竜、伊達政宗殿。さすがにお強いことだ」

 声はただ淡々と虚空に響き、政宗に話しかけているという意図も感じられない。一房だけ伸ばした後ろ髪がさらりと風に靡く。
 白い槍が構えられた。政宗も刀を握る手に力をこめる。

「貴殿は、某を満たしてくれるだろうか」

 独白のように洩れた言葉が政宗の心に届く。これが、彼が「つきのおきな」。確かに燃え尽きた人間だ、と納得する。何が彼をこのように落としたのかはわからないが、ここまで哀しみにとらわれている人間はきっと幸せだろうと政宗は思った。
 静謐に飲まれてしまった少年は、石化した神のように美しい。

「参る」

 その言葉が終わらないうちに少年の足が地面を蹴る。細い槍が焔を纏う。あたりに火の粉が舞う。
 刀で弾く刹那、少年の瞳がふわりと開いた。一瞬だけの動揺が二人を繋ぐ。

 この、月のように深々とした少年も揺らめくことがあるのだ。それも、戦いの歓喜に揺らめくことが。もしも、彼が、燃え尽きる前に出会っていればきっと良い好敵手として出逢っていたことだろう。

「安心したぜ」
「何がだ」
「アンタ、人間だな」

 口角を上げて嗤えば、少年は眉に皺を刻む。

 触れられる人間なら迷いも躊躇いもない。月に囚われた八咫烏は、きちんと生きている人間だった。哀しみに堕ちて、静かにならんと足掻く一人の少年だ。
 その姿に、昔の己を重ねた。

「ああ……ぶち壊してやりてえ。アンタのその冷静な顔も、平気だとつっぱねる壁も」
「戯言を」
「泣いて喚けば抱きとめてやる、丸ごと全部な」
「ほざけ」

 哀しんでだけいれば、それは幸せなことだ。
 それでも。

「アンタはそのまま死ぬには、惜しい」

 雷を帯びた竜の爪を、振り下ろす。






ラブの気配すらなくて凹みます。いちゃいちゃさせたいYO!