「Maria,Mother Maria」


 虚ろである眼窩が痛む。自身を苛むこの痛みとも、すでに長い付き合いだ。特に痛む理由もないのだが、雨の日は殊更痛んだ。
 繋いだ馬の脇に曼珠沙華が燃えるように咲いている。街道沿いの馴染みの茶屋で雨宿りをしていた政宗は、濡れても燃えるその花に手を伸ばした。妖艶な赫は何よりも退廃的だ。

 ふと、同じように紅を纏う青年を思い出した。

 彼と曼珠沙華を比べてみる。男と花を比較するなど馬鹿の極みだ、などと自嘲してみるが、思考は止まらない。
 曼珠沙華は地獄の炎の色だ。毒を秘めて咲く心は、娼婦に似ている。しかし、あの青年は。譬えるならば、彼はきっと天上に輝く焔だ。沼に篭って天を恨む竜とはなんとも対照的である。

 自分は幸村が羨ましいのだろうか。幸村は自身の事は殆ど話さない。彼の周りに血縁者が一人もいないのは不思議ではある。この乱世、珍しいことでは決してないのだが。
 政宗とて、父が居ない。ただ血縁者は何人も居る。
 容易に想像できる結末に溜息を吐いた。ある意味己より環境は悪い。それなのに、何故あそこまで純粋に生きていられるのだろうか。元よりの資質なのだろうか。

 望めないもの、なのだろう。

「ま、終ったことをくよくよ考えんのは、粋じゃねぇな」

 何であれ幸村は幸村で政宗は政宗だ。それは本当にどうしようもないことだ。
 ならば、自分を自分らしく生きる生き方を選ぶ以外にない。

独眼竜殿!?」

 いつの間にか考え込んでいた。曼珠沙華から目を離し、影の根元へと視線を移す。途端、紅玉の紅が視界を覆った。

「What's up my sweetheart?……何してんだ、こんなトコで」
「雨宿りで御座るが……独眼竜殿こそこんな所で何をなさっておられる」
「アンタと同じ雨宿りだよ」

 鷹狩りの帰りだ、と離れたところに座る鷹匠を示せば幸村は納得したのか、隣に腰を下ろした。警戒心など殆どないようだ。他人事ながらめまいがする。

「お供はどうした」
「佐助は多分そこらへんに居ると思うで御座る」

 あの忍が居なければ、簡単に死んでいただろう。一対一の戦闘能力なら政宗ですら押されるかもしれない。ただ幸村は乱世にとって致命的なことに、人を疑うことをしなかった。いや、疑いはするのだが一旦信じるとそれを貫こうとする。
 その辺りは政宗も佐助に同情を禁じえない。

「呼ぶ必要が御座るか?」
「呼んでどうするんだ」
「佐助と独眼竜殿は中々話が合うのではと思うのだ」

 幸村もこの茶屋の馴染みらしく、何か注文する前に山盛りの甘味が出てきた。嬉しそうに礼を言って受け取る幸村には、戦場での面影など欠片もない。
 この辺りも、佐助に多分に同情する。

「そうだ、えいごとやらで美味いとはどう言うのだ?」
「Yummyだ」

 本当は子供の言葉だが、幸村には丁度いいだろう。たどたどしくやみーと言っている彼は、どう見たって鬼神ではない。むしろ子供だ。元服が済んでいるとは到底思えない。

「ヤみー」
「Oh,結構いい発音だぜ」
「本当で御座るか!?」

 嬉しそうに笑った笑顔も、純粋さが残っている。
 これを手に入れたいのだ。政宗は幸村の頬に手を伸ばした。幸村は笑顔を消して、少しだけ困ったように笑う。頬が少し赤らんでいた。

 幸村のように純粋に生きられたなら、少しは何かが変わっただろうか。右目の痛みが酷くなった。母も、醜いと罵ることはしなかっただろう。

「独眼竜殿?」

 綺麗な鳶色の瞳が、二つの瞳が自分を映し込んで見つめている。衝動が政宗を駆け巡り、幸村の首に手をかけた。
 途端、殺気が幸村の後ろから膨れ上がる。政宗は別の生き物のように動いている、自分の手を覗き込む。

「良い、佐助」
「でも旦那」
「良いと言っている」

 幸村は政宗の手に自分の手を重ねた。そのままゆっくりと彼の手と一緒に手が首を離れていく。そこで漸く、政宗は自分が何をしたかを悟った。
 佐助が怒るのも無理はない。

「政宗殿、大丈夫で御座る」

 硬直している政宗に幸村は抱きついた。また別の意味で殺気が政宗を襲うが、今はそれどころではない。政宗は最大級に混乱していた。

「大丈夫で御座る。幸村がここに居るゆえ」
「幸村……?」
「そなた、寂しいのであろう?大丈夫で御座るよ。だから、泣かないで」

 泣いていた。ない筈の右目からも涙が滑り落ちる。

 胸元から自分を見上げる幸村は、政宗に笑いかけていた。その頬に、ぽたり、ぽたりと。もう一度その頬に手を伸ばし、落ちた涙をぬぐった。

「Ah――、格好悪いトコ見せちまったな」
「何を申されるか。幸村は独眼竜殿の「すうぃーとはあと」で御座ろう」

 意味を解っているのか怪しいところだが、優しく笑う幸村に政宗も微笑みかけた。
 天上の焔を見ていれば、いつか竜も天に帰れるだろう。暗い沼の底からいつか出て行けるのだろう。政宗は、母に久しぶりに会いたくなった。





「それでな、佐助がな、独眼竜殿」
「なあ」
「何で御座るか?」
「もう一度、名前で呼んでくれねぇ?」

 顔を紅くした幸村の背後から、盛大な殺気と共に苦無が何本か飛んで来た。




幸ちゃんが筆頭に優しい……!