「夢のうちに思ひぬ」


 奥州と甲斐は、隣国同士である。

 この乱世の時代だ。国境での小競り合いなどはそれなりにある。しかし、均衡はぎりぎりのところで保たれていた。
 そもそも自分の国で戦をしない武田信玄が隣国に攻め込んでいない、という状況は、武田軍に戦々恐々している国や信玄自身をよく知る人間には不可解なことだ。それは彼が溺愛している一人の若者の、せいなのだ。

 甲斐は美しい国である。なだらかな山と険しい山脈が同居した、起伏に富んだ地形。決しては住み易くはないが、春の桜に夏の緑、秋の紅葉などは筆舌に尽くしがたい。冬の寒さは標高が高いため厳しいが、雪山もまた、美しかった。

 そんな甲斐に、奥州より一人が訪ねて来る。毎日のように甲斐に通う若者は、さんざめく森の白樺に似た美しい少女が目当てな訳ではない。紅く染まった楓の葉のような、透明に澄んだ、信玄の溺愛する若者に逢いに来る。紅玉のような魂を持つ若者の元に、一人で来るのだった。
 神鳴りによって下る竜の目をした奥州筆頭伊達政宗。今日も真田幸村の元へ、一人駆けていった。





 幸村は信玄によって与えられた屋敷の縁側でぼんやりと空を眺めていた。手元には二皿の団子が置いてある。一皿にはこれでもか、と言うほど団子が盛られているが、もう一皿には一本しか盛られていない。

 来る、という連絡は受けている。
 何も入っていない湯飲みに視線を移した。冷めないようにという配慮だが、佐助が茶を出しに出てこないのはまだ彼が近くまで来てはいないということを示していた。普段ならばそれなりに寂しいような待ち遠しいような気持ちになるのだが、今日は違う。

 来るのが遅れれば、否。来なければいいとさえ幸村は感じていた。

 思い出してしまう。紅くなった頬を冷ますため、幸村は自分の湯飲みを空けた。冷める訳などないと、自分でもわかっていたが。

 馬鹿だ、と呟いた。何食わぬ顔で相手をすればよいだけの話。それが出来ないのは、生来の性格なのだ。彼の部下の一人は、幸村の精神は、どこに曲がりもせず真っ直ぐと伸びる杉のようだからだと、評する。緬甸(ビルマ、現ミャンマー)の紅玉よりも澄んだ紅い魂に、澱みなどない。
 大好物の甘味も食べる気がしないくらい幸村は悩んでいた。
 湯飲みを置くと溜息を吐いた。

「何珍しい顔してるんすか」
「どういう意味だ佐助!」

 眉間を差しながら佐助は笑った。その手にはお茶道具一式を抱えている。佐助の仕草が解っていない幸村が自分も眉間に手をあてる。佐助はその仕草を見て、苦笑いをこぼした。

「旦那、皺寄ってますよ。何考えてたんです?知恵熱出るでしょうに」
「な!馬鹿にしておるだろう!!」
「自分で馬鹿って認めてたじゃないですか」
「……聞いていたのか」

 盛大に一つ、溜息を吐くと、佐助に向き直る。

「お前が来たと言うことは、その、独眼竜殿は」
「ええ、もう屋敷の前にいますよ」

 幸村はそうだよな、と頭を抱えた。別に会うことが厭なわけではないのだが、厭だ。佐助は不審げと言うよりも哀れそうに幸村を見て、茶を淹れる。
 戦忍のやることではないが、この主人だから仕方ない。

「で、旦那。追い返しますか?」
「いや、良い。通してくれ」

 佐助の気配が瞬時に消えた。幸村は塀の外を思う。きっと苦虫を噛み潰したような顔で、二人は対面しているのだろう。それがどうしてなのか、幸村にはわからないのだが。





「Shit……、遅いな」

 押しかけている自覚はあったので、文句は言えない。それでも普段なら幸村は快く迎えてくれていた、多分。彼の部下の忍はやはりこちらの「シタゴコロ」に気付いているらしくあまり良い顔をしていなかった。それは当然である。

 政宗が佐助だったとしても、そう感じるだろう。

 三本差しをいらいらと弾く。本気になるほどの敵など数えるほどの政宗は、ここに来るときは軽装で来る。それでも十分戦い抜ける自信があった。
 この国で張り合える人間などほんの僅かだ。それこそ幸村や佐助、信玄だけかもしれない。今のところ彼らを敵に回す気などなかったので、この軽装は敵意がないと示す政宗なりの誠意の表れでもあった。

「竜の旦那、待たせたね」
「Hello、アンタの主人は元気かい?」

 いきなり背後から声がしたが、気にしない。鷹揚に振り向くと、口角を上げた。
 幸村の配下の忍は、いつもの挨拶に少しだけ戸惑った。それを見逃す政宗ではない。

「何だ?風邪でも引いたか?」
「そんなもんですよ多分」
「Weird……珍しいな。馬鹿は風邪引かねぇ、ってのはガセか?」
「風邪じゃあないんですがね。似たようなもの、ですかねえ」
「Wut?」

 よく解らないが、元気ではあるらしい。軽く礼を言って、政宗は屋敷の中へ入っていった。後ろで佐助が呟いた言葉は、耳に入らなかった。





「お医者様でも草津の湯でも、ってねえ。ホント嘆かわしい」





 幸村は視線を決して合わせなかった。いつも真っ直ぐ政宗を射る瞳が、宙を彷徨い下を見つめる。かと思えば、政宗が幸村を見ていない時は視線はきちんと政宗を見ていた。
 確かに元気ではあるが、調子は悪いようだ。
 要因はなんだろうか。政宗にあることは、間違いないだろう。茶を一口飲んでから横に座る幸村を見た。やはり、すぐ顔をそらす。

「Ah……具合でも悪いのか?」
「いや!そんな訳では!!」

 慌てて顔を政宗に向けるが途中で思いとどまったようにまた明後日を向く。

 どうしようもない。

 特に何かした訳でもない。過剰なスキンシップなどはしていない。そんな事をしたら、間違いなく自分は突っ走るだろうとわかっているからだ。殊勝なことだと、小十郎などには喜ばれていた。政宗にも幸村に相手の合意なく手を出せば、信玄が黙っていないことくらい解っている。

 何かをする前からこんなに邪険にされていては、と言うのが本音だ。

「別に、俺が悪ければ言えばいいぜ?」
「そ、あ、ど、独眼竜殿は何も悪くないので……!!」

 悪いのは幸村ですから、と言って幸村はうつむく。政宗は堪忍袋の緒が丈夫なほうではない。幸村の顔を無理矢理政宗のほうに向けた。

「あのなあ、せめて人の顔見て話せ」

 ぽかん、と呆気に取られた顔をしていた幸村は、数回瞼を瞬かせた後に顔を一気に紅く染めた。そのまま政宗を突き飛ばす。

「Gatdem……本当に何したって」
「す、すみませぬ!!」

 少しキレかけたが、必死な顔の幸村を見ては怒るに怒れない。溜息をついて額に手をやった。

「ったく……。いない方が良いか?」
「いえ、その…………。そういう訳では、ござらぬが……」
「じゃあどんな訳だよ」

 歯切れの悪い言葉が、幸村の居心地悪さを物語っている。政宗がいなければ楽になるのかといえば、そこには多大な葛藤があるらしい。
 幸村にしては珍しく、何瞬か躊躇って、政宗に言葉を向けた。

「怒らないで戴きたいのです」
「…………okay、約束する」

 つっかえつっかえ、顔を林檎のように紅くしながら。幸村は言葉を繋いでいく。それは、政宗にとって嬉しい話だった。が、同時に苦しさを増した話でもあった。

「その、幸村は時々朝になるとその……致してしまっていることが」
「何をだ?」
「い、以前佐助に話したらば生理現象と」
「何だ夢精か」

 そういうことに一切触れさせられずに過保護に育てられた様子の幸村なら、ありえない話でもない。まだ若いだろうに、どこで発散しているのかと政宗は常々不思議に思っていたがどうやら欲求はきちんとあるようだ。
 発散させる、という方向に向かっていないようだが。

「そ、そ、そんな破廉恥な……」
「生理現象に破廉恥も何もあるか。それで、何だ?」
「う……。その、む、夢精する時はいつも夢で」
「はぁ」
「綺麗な女子が幸村の、あの、その」

 政宗は少し悲しくなる。何が楽しくて想い人の淫夢の話など聞かなければならないのだろうか。しかも、遠路はるばる来てまともに話したのがこれとは、頭を抱えたい。

「そ、それが、きょ、今日はその。あの」

 幸村は顔に両手を当て、俯いてしまった。更に少し政宗から離れている。

「独眼、竜どのが、幸村の」

 不意打ちもいいところである。丁度お茶を飲んでいた政宗は思わずむせてしまう。それは、つまり。幸村の中で、彼のことだから、無意識に、ではあるのだろうが。

 そういう対象として、政宗が見られているということではなかろうか。

「あ、やはり、不快になられる……」
「アンタ、本当野暮だな」

 手を伸ばして幸村を抱き込む。幸村は混乱して、状況を理解して、更に紅くなる。それでも今度は突き飛ばさなかった。

「俺にこうされて、厭かい?」
「いえ、そんなことは……」

 口角を上げて笑うと、政宗にしがみついている幸村の、顔を覗き込む。
 そのまま少し開いた唇にキスをした。

「コレは?」

 恥ずかしさのあまり、声も出ないらしい。それでも幸村は一回、小さく首を振った。

「じゃあ、そういう関係になるのは厭か?」

 幸村は、政宗の顔を見上げた。





 佐助は無言で苦無を政宗の脇に投げた。

 幸村は自分から政宗に接吻した。それが示すのは、勿論。気付いていなかったわけではないからいずれはこうなると思っていた。

 ただ、明るいうちに絶対そういうことはさせるつもりはない。幸村にはきちんと言っておかなければならない。政宗にもよくよく言い含めるべきだろう。




初BASARAテキスト。色々慣れてませんなあ。